西岡京治の生涯
| 年 | 出来事 |
|---|
| 1933年2月14日 | 京城(現在のソウル)に生まれる |
| 1964年5月 | コロンボ計画の農業専門家として、海外技術協力事業団(OTCA、現在のJICAの前身)からブータンに派遣される。妻の里子さんも同行 |
| 1966年 | パロの農場(ボンデー農場)が完成 |
| 1976〜1980年 | 南部シェムガン県パンバンの開発を指導 |
| 1980年 | 第4代国王から「ダショー」の称号を受ける |
| 1992年3月21日 | ティンプーの病院で敗血症のため死去(59歳) |
| 1992年3月26日 | 王室と政府による国葬が行われる |
JICAは、西岡さんの派遣を「ブータンにおける日本の協力の起点」としています。外務省のODA白書は、西岡さんがインド以外の国からブータンに来た初めての援助関係者だったと紹介しています。
パロでの農業指導
西岡さんが最初に取り組んだのは、野菜の栽培でした。パロを拠点に、キャベツ、トマト、大根などの野菜を、新しい農具や肥料、改良した種を使って育て、1年目から成果を上げました(JICA)。1966年にはパロの農場が完成し、農業の機械化や野菜の品種改良の拠点になりました。
その後も、収量の多い日本の稲の品種や、苗をまっすぐ等間隔に植える正条植えを広め、りんごやアスパラガスなどの換金作物も導入しました。日本の無償資金協力による農業機械化センターや種苗センターの設立にも関わっています(外務省ODA白書)。
1976年からは南部のシェムガン県パンバンで、農地や道、水路、橋の整備を含む地域の開発を指導しました。現地の吊り橋は「西岡ザム(西岡の橋)」と呼ばれています。
「ダショー」の称号
1980年、西岡さんは第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクから「ダショー」の称号を贈られました。外務省によると、外国人でこの称号を受けたのは西岡さんだけです。ダショーは通常、次官や県知事クラスの人に与えられる称号で、身につけるスカーフ(カムニ)の色は赤と決まっています。カムニの色の意味はブータンの民族衣装のページで紹介しています。
1999年には、ブータン政府から没後の勲章(ドゥク・トゥクセ勲章)も贈られました(BBS)。
パロに残る西岡チョルテンと記念館
西岡さんは1992年、帰国を目前にしてティンプーで亡くなりました。国葬のあと、里子夫人の希望で、パロの谷を見渡す場所に葬られました。1993年にはその地に西岡チョルテン(仏塔)が建てられ、2025〜26年に改修されています(BBS)。
2014年には、日本とブータンの協力50周年を記念して、パロに記念館が開館しました。パロを訪れた際に、ガイドに案内を頼んでみてはいかがでしょうか。パロの見どころはブータン旅行ガイドやタクツァン僧院のページでもご紹介しています。
日本とブータンの交流
- 外交関係:日本とブータンは1986年3月28日に外交関係を結びました。外務省は、両国の関係は西岡さんの農業協力から育まれたものだとしています。
- 青年海外協力隊:1987年に派遣の取り決めが結ばれ、1988年7月に最初の隊員が着任しました。2024年1月までに647人が派遣されています(JICA)。
- JICAの協力:農業(機械化・換金作物)、道路や橋、地方の電化、放送や地方行政の支援、氷河湖決壊洪水(GLOF)の早期警報など、幅広い分野で協力が続いています。
- 2011年の国王夫妻の来日:東日本大震災の年の2011年11月15〜20日、ジグミ・ケサル国王とジツェン・ペマ王妃が国賓として来日されました。11月17日には国会で演説し、18日には福島県相馬市を訪問されています。
- 皇室との交流:2019年8月には秋篠宮皇嗣同妃両殿下と悠仁親王殿下がブータンを訪問されました(外務省)。
日本では、在東京ブータン王国名誉総領事館がブータンに関する窓口になっています。「幸せの国」としてのブータンについては幸せの国ブータン(GNH)もご覧ください。